[兵庫県・加古川市]
登山のゴールは山頂だけじゃない。
山好きベーグル職人の焼く、
人と自然と食をつなぐベーグル。
S&N
ベーグル担当 黒﨑 望未
心の喜ぶ方へ、寄り道を厭わない。
「寄り道」や「道草」は、日常に新たな刺激をもたらし、様々な機会を連れて来ることがあります。目的地に向かってただひたすらまっすぐに進むのも良いですが、たとえ計画していた経路から外れたとしても、心のアンテナに従って惹かれた場所に”寄り道”することで、自分自身の幅を広げる人や場所、機会と出会えるかもしれません。「山登りのゴールは、なにも頂上だけじゃありませんから」。
寄り道や道草を厭わず、視野を広げることで出会える可能性について教えてくれたのは、手作りのマフィン・スコーン・ベーグルのお店「S&N」の黒﨑 望未さん。姉妹で兵庫県加古川市にお店をかまえ、姉の志織さんと力を合わせて切り盛りしてきました。今回は「面白い機会に対してアンテナを張り続け、心が動いたときに向かえるようにしたい」と話す望未さんに、現在に至るまでの経緯とこれからについて伺いました。
皆さんも一緒に、ちょっと寄り道、していきませんか?
環境を選ばない、〝強い〟ベーグル。
兵庫県加古川市、市内で一番の人口と世帯数を誇る加古川町。毎年一月に行われる十日戎のえびす大祭で賑わう粟津天満神社の近くに、手作りのマフィン・スコーン・ベーグルのお店「S&N」はあります。
店内で出迎えてくれるのは、サクサクとした風味豊かなスコーンやクッキー、素材からこだわったふわふわのマフィン、そして小麦粉に炊き立てのお米を加えて仕上げたボリュームたっぷりの「おにぎりベーグル」といった垂涎必至のものばかり。さらに、焼き立ての香ばしい匂いも相まったその空間は、ただ居るだけでも目にも鼻にも美味しい体験をすることができます。
「これお願いします!」「はい!」。朗らかなやり取りが聞こえる店の奥へ視線をやると、バンダナを巻いた二人の姉妹が息の合ったチームワークでテキパキと働いている様子が飛び込んできました。「おにぎりベーグルは米を使って焼き上げているので、お味噌汁とも合うんですよ」と話すのは、今回お話を聞く妹の望未さん。「S&N」ではベーグルを担当しています。「形が崩れず、ずっしりとしたボリュームがあり腹持ちも良い。私たちはよく山に登るのですが、おにぎりベーグルは登山に持ってこいなんです」。
普段の食卓に並べてもよし、ピクニックのお供など遠方へ出かける際の食事としてもよし、心強いベーグルだと明るく説明してくれる望未さんは、今のお仕事と出会うまで様々な経験してきたそうです。「ここに来るまでたくさんの職を経験し、様々な場所に足を運び、魅力的な人たちや機会に出会ってきました」。過去を一つ一つていねいに振り返りながら、ぽつぽつと、これまでの道のりを話してくれました。
私たちは、行きたいときに行きたい場所へ行ける。
「学生の頃から写真家の星野道夫さんや登山家の植村直己さんが大好きで、著書に書かれている人々の暮らしや、その中に載っている写真の世界に憧れていました。大学では農学部で自然や環境問題について学び、部活動では基礎スキーに没頭。卒業後は自然に関わる仕事に就きたいと思い、長野のハーブ園に就職し、その傍ら園芸療法のボランティアなどもしていました」。
自然と関われるお仕事についた望未さんですが、体調を崩したことと「自然だけでなく人とも関わりたい」と感じたことをきっかけに学校の介助員へ転職。園芸療法を通して〝人と自然の関わり〟に大きな興味を持つようになります。「園芸療法のボランティアで若年性アルツハイマーの方と関わっていたのですが、あるときラベンダーの香りを嗅ぎ『この香り、新婚旅行で富良野へ行ったのよ』と思い出されたことがありました。自然の偉大さに気づいた瞬間でしたね」。
大きな転機となったのは、ちょうど介助員として働いていた二年目の春休み。2012年にアラスカの古都シトカに建てられた、星野道夫さんを偲ぶトーテムポールを見に現地へ訪れたときでした。
「初めての海外一人旅だったのですが、えいやっ!の勢いで……(笑)。犬ぞりのマッシャー(犬ぞりを操る人)養成講座に申し込み、ホストファミリーと生活しながら、目的地であるシトカのトーテムポールやアラスカの博物館を回りました。とても刺激的な体験で、そのとき『私は行きたい場所へ、行きたいときに、自分の足で行くことができる力があるんだ』と気づいたんです」。
人と自然、食のつながりに行き着く。
その後スイッチが入ったように国内の興味のある場所を訪れるようになった望未さん。行く先々で様々な体験をし、次第に山に惹かれるようになります。
「ご来光を見るために友人と北アルプスの唐松岳に登ったとき、頂上で昇る太陽と沈む月、朝と夜二つの世界を見た経験が忘れられなくて……。山って本当にすごいなあと思いました。下山してからは『山から降りたくない、ずっと居たい』と強く思うようになり、山の仕事の求人を探し始めました」。
介助員として働いていた学校を退職し、長野県にある八ヶ岳の山小屋で働く事になった望未さんは、そこで自然の厳しさと生きることの大変さに気づかされます。
「山での生活はとても大変で、必需品の水や食料を抱えて山小屋まで登らないといけません。生活で出たゴミや排泄物は山に捨てられないので持って降ります。都市の生活のように蛇口をひねったら水が出て、ゴミは誰かがいつの間にか片付けてくれているといった生活とまるで違い、生きる大変さを感じましたね」。
山を降りてからは、父親が亡くなったことをきっかけに姉妹で加古川市にS&Nを立ち上げることになり、働くなかで次第にその魅力に惹かれていったそうです。
「姉が専業でお店を切り盛りしているなか、私は保育士として働きながらお手伝いをする形でお店に関わってきました。そんななかでどんどん楽しくなってきて、ベーグルを通して人と関わることができ、自然とつながることができるこの仕事に専念したいと思うようになりました」。
登頂だけが登山の楽しみではない。
紆余曲折を経て、点と点を結びながら今に至った望未さん。これまでの道のりは「自分が楽しい、興味関心があると感じたところに足を運んできた結果」だと話します。
「私は山を登るのが好きです。それは決して山頂に到達するといった意味ではありません。登山仲間との交流や、自然を五感で堪能することなど、道中楽しみはたくさんあります。たとえ天候不良で途中で下山することになっても、また当初たてていた目標と異なるルートになっても、山にいる自分、山に登ることができている自分にとても幸せを感じます。登山の楽しみはピークハントだけに限ったものではないですからね」。
目的地に向け、逆算をして計画をたてるのは大事なこと。でも、いつだって面白い機会はちょっとした〝予想外〟と一緒にやって来ます。望未さんのように、寄り道をしているその過程で、心の琴線に触れる素敵な人や機会との出会いが待っているかもしれません。
新たに命が宿ったお腹に柔らかい笑顔を向けながら、「次の楽しみはこの子が連れてきてくれるかも……」と話す望未さんの目は、今をしっかりと見つめながらも、これから出会うであろう新しい機会への希望に満ち溢れていました。
手作りのマフィン・スコーン・ベーグルのお店「S&N」
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