[兵庫県・加古川市]
人生を振り返ったとき、納得のいく生き方・働き方を送る。
人にも社会にも〝おいしい〟お店を営む店主のこれから。
S&N
店主藤井 志織
生きている間に、何を遺せるか。
「人の一生は後世に遺したもので価値が決まる」と聞いたことがあります。三流は金を、二流は仕組みを、そして一流は〝人〟を遺すのだと。
人生の価値をどう測るかは人それぞれ。しかしこの言葉は、自身の人生を振り返った際、その人生に納得できるかどうかという考えるに足る大きな問いを与えてくれます。
今回お話を伺ったのは手作りのマフィン・スコーン・ベーグルのお店「S&N」オーナー藤井 志織さん。亡くなった父の葬式に集まったたくさんの人たちを見て、生前人のために尽くした父の生き方に憧れ、「自分も好きなことで人の役に立ちたい」と一念発起。公私共に様々な困難を抱えつつもそれらを乗り越え、妹と「S&N」を立ち上げました。
父親譲りの登山愛を持つアクティブな姉妹がつくりだす商品は、山の過酷な環境下でも食べやすく腹持ちが良い米を使った「おにぎりベーグル」や、体力の急速回復を促進する〝行動食〟「PASS」など、アウトドアを楽しむ人たちの支えとなるものばかり。また、「子ども食堂」へ支援を行い、積極的に「人の役に立つ」を意識した取り組みも行っています。
父の生き様に大きく影響を受け、誰かを幸せにするため、そして何より自分に正直でいるために事業を始めた藤井さん。苦境の中でも折れずに挑み続けたこれまでとこれからについてお話をうかがってきました。
自分がつくった料理を食べてもらう喜び。
兵庫県加古川市加古川町。JR加古川駅を南西に進み、ベルデモール商店街を抜け、国道2号線を超えると、あたたかい暖色光が表にこぼれるマンションが見つかります。チョークで書かれた季節のメニューと「S&N」の文字、鼻腔をくすぐる焼きたてのお菓子の香りをたよりに扉を開けると目に飛び込んでくるのは美味しそうなベーグルや焼き菓子たち。奥にはオーナーの藤井さんが立っており、柔和な笑顔で迎え入れてくれました。
「両親が共働きで小学生のころから遠足のお弁当を自分でつくっていました。大学で一人暮らしをしているときも料理が苦手な友達に『食べにおいで!』と声をかけ、料理をふるまうのが好きでした。おかわりしてもらえると本当に嬉しかったですね。今でもお客さんに『おいしい!』と言ってもらえて、リピートしてくださると嬉しくなります」。
ランニングの途中に訪れたお客さんと談笑しながら接客している藤井さんの姿から、その言葉が嘘偽りなく、心の底から出たものだとわかります。
お店には一般のお客さんをはじめ、アウトドアの趣味を楽しんでいる方が多く訪れるそうですが、藤井さん自身の趣味も登山にランニングにととてもアクティブ。きっかけは自分を強く保つためだったといいます。
「離婚をしてから、自分を弱く見られたくない、心身共に強くなりたいといった思いからランニングを始めました。最初は一人で走っていましたが、やがてランニング友達ができ、大会の楽しさを教えてもらったり、100km以上をも走るウルトラマラソンの楽しさを教えてもらったり、そうしているうちにスポーツにおける〝食の大切さ〟にも目を向けるようになりました」。
姉妹の実体験から生まれた行動食「PASS」。
お二人がつくるお菓子はアウトドアを楽しむ中から着想を得たものが多いそう。行動食「PASS」は、登山や山岳スキーを愛し、山小屋で働いていた経験もある妹と二人で考えてつくり出されました。
「フル以上のウルトラマラソンや、トレイルランニング、ロングトレッキングなどの長時間にわたるスポーツで、完全にエネルギーが切れてしまい動けなくなる前に補給するのが行動食。そのため効率よくエネルギーに変わってくれるようなものじゃないとダメなんです。ミネラルバランスがとれていたり、油が適切に分解されたり、必要な条件をいくつかクリアしなければならず、既製品ではなかなかドンピシャなものがありませんでした。そこでもっと良いものをつくれないかなあと」。
商品開発では姉妹で山に登り、山で出会った方々に「試食して頂けませんか?」と一人ひとりに手渡して直接感想を集めて回ったそうです。現場で必要とされ、受け入れやすい行動食を目指し、一年がかりで現在の形になりました。
「PASSは一口サイズのボール状になっており、一個食べて残りをリュックにしまえたり、登山仲間や道中一緒になった人たちと分け合えたりできる形になっています。PASSを手に取るお客さんがどこで、どういうタイミングで、誰と一緒に食べるのかを考えてつくりました」。
現在は少しずつではあるものの取り扱い店が増え、アウトドアを楽しむ方々に手に取ってもらう機会が増えてきているそうです。
生き方を見つめ直した父の葬儀。
「S&N」を立ち上げることになった経緯について藤井さんにうかがってみました。
「建具職人だった父が亡くなったのがきっかけですね。父は生前、本当に自分の好きなことをして生きていた人で、自分の利益よりも人が喜ぶことを優先していました。亡くなったときにお金は一切遺っておらず葬式代すらありませんでした。ただそうした生き方もあって、葬式では父とご縁のあった方がたくさん弔問客としていらしてくださったんです。もうそれでお葬式代がまかなえたくらい(笑)。式場の方がびっくりしていて、『一職人さんのお葬式でこんなに弔問客が来られるのは異例です。』と言われました」。父の葬式に集まる多くの人たちを見て、「好きなことをやり、ご縁を大切にしたらこうした最期を迎えるんだ」と、父の生き方に憧れてS&Nを始めたといいます。
「当時はまさに”背水の陣”状態で、勤めていた会社が事業をたたむことになり、小さい子どもたちを抱えたまま退職することになったんです。子育てをしている三十五歳の主婦にとって再就職は厳しいもので、『こうなったら自分で自分を雇うしかない』と思い、S&Nを立ち上げました。ただ、そんな人に銀行がお金を貸してくれるわけもなく、開業資金がほとんど無い状態でのスタート。壁紙や床板を自分で貼ったり、友人たちに助けてもらったりしながら、何とかオープンすることができました」。
大変だった当時の様子も笑いに変えて明るく語る藤井さん。お店の立ち上げに協力してくれた友人たちも、そうした藤井さんの明るさや思いの強さに惹かれて集まってきたのかもしれません。
誰かの、明日のために。
お店として、また藤井さん個人として、今後どうしていきたいかについてお話を聞くと「子ども食堂に力を入れていきたい」とのこと。
「子どもの貧困問題は深刻で、私たちが見えていないだけで日本では満足に食べられない子たちが数多くいます。小学校で働いていた妹からも、子どもたちの厳しい状況をよく聞きました。当然自分の生活もあるので厳しい部分はありますが、少しずつ支援を増やし、前進していければいいなと思っています」。
今はなき父親の影響もあり、周りの困っている人や世の中に少しでも良い影響を与え、二人の娘の心に刻まれるような生き方をしたいと取り組まれている藤井さん。不安を抱えながらも、正解かどうかにかかわらず、自分がどういった生き方をしたいのかを考えて行き着いた今の在り方。ただ、決して現状に満足しているわけでなく、今後もっともっとという思いは強いそう。にこやかに笑いながらも目の奥に強い光をたずさえつつ、藤井さんは言います。
「まだまだ、これからです」。
手作りのマフィン・スコーン・ベーグルのお店「S&N」
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